a confession


好きな人の話をしよう。
退屈な話だ。
今更どうしようもない下らない話さ。
最初からどうにかするつもりも無かったとか言うんだから救いようも無いけれどもね。
―まぁ、懺悔代わりに、そうさね、聞いてくれるかい?シスター?

オーケー。恩に着るよ、シスター。

はは、嗚呼、時間外労働だって?
まぁ、そんな硬い事言いなさんな、シスター。懺悔染みてようが、別段懺悔でもないのさ。愚痴染みていようが、別に愚痴でもないのさ。
―――嗚呼、迷惑は重々承知。でもまぁ最期の願いさね、シスター。
ただ、誰にも言わずに誰にも知られずに朽ち果てていくのが厭だって言う、我侭なのさ。
コーヒーでも奢るから一杯どうだい?酒の肴にするには少々辛気臭いかもしれないけどもね。
…要らないって?そんなつれないこと言うなよ、シスター。
何々、前置きが長いって?はは、まぁ良いじゃないか、まだ日は長いんだ。

嗚呼、どうぞ、座ってシスター。コーヒーで良いかい?
オーケー。

さて、そうだな。――――、何、何処から話そうか考えてるだけさ。
そうだな、うん。 ―――――、シスター、人はどういう状態を生きていると言うんだろうね?嗚呼、良い良い、何も言わなくて。別に神様を冒涜するわけじゃないけれども、神話の話が聞きたい訳でも なければ、生きることについて語り合いたいわけでも無いんだよ。

え、何?生きてないモノに生について語った所で理解が得られると思えないだって?何だってそんな事言うんだい、シスター。
生きるって事は素晴らしいじゃないか!何かを愛するって素晴らしい!青臭い想いだって、恥ずかしい出来事だって何だって素敵だよ。――――、なんだい、その溜息。
ええ?その頃に戻りたいか、だって?……そうさなぁ、素晴らしいとは思うけれど、素敵だとは思う けれど。………もう一回同じ事をやれって言われたら、恥ずかしくて死にたくなるよ。
いやいやいや、違うよ、シスター、それでも素晴らしいんだ。素晴らしかったのさ、紛れなく。


え、話を戻せって?本当につれないね、シスター。シスターが聞いたから答え……はいはい、解った よ、シスター。解ったから、其れ、下げておくれよ。


…、ありがとうシスター。それじゃあ話を戻すよ。


私はね、シスター、生きてなんて居なかったんだ。
別に家族が悪かったとか、悲劇的な事が有ったとか、そんな事じゃないんだ。―――それなりに幸福 で、それなりに不幸だったさ。他の誰もと同じようにね。
まぁ、それでも、シスター、弱かった私は生きていなかったのさ。何時でも自分が既に死んで魂だけ が未練たらしく日常を繰り返しているんじゃないかと恐れていたんだ。嗚呼、矛盾だね、見事な矛盾 だ。
だけどとにかく、私の心は既に死んで、生ける屍も吃驚の、生きているだけの幽霊だったんだ。
嗚呼、もう何年前かな。数える事だって出来るけれど、問題はそんな事じゃなくて、問題は、私は生 きながらにして、死んでいたという事なんだ。
嗚呼、まぁともかくだ。ともかく、その頃私は生きてなんて居なくて、これから先だって何も変わら ないだろうと思っていたんだ。孤独で、変化も無く、希望も、絶望も無い何も無いぬるま湯のような 優しい世界で、私はこれからだって生きていくだろうと思っていたんだ。独りで、生きていくだろう と思ってたんだ、シスター。

そんな頃さ、私があの人に出会ったのはね。
陳腐な出会いさ。聞きたいかい、シスター?
うん、そうだね、それが懸命だよ、大した話じゃないのさ。


まぁなんていうか、あの人は呆れる位辛抱強い人でね、シスター、ずっと傍に居てくれて、きっとあ の人は気付いちゃ居ないんだろうけれど、私をこっちの世界に連れ戻してくれたのさ。既に死んでい た私をね。
でもねぇ、シスター。
あの人は酷い人でね、酷く優しくて残酷で愚かでその癖利口で正直者で嘘吐きで弱くて、そのくせ強 くて呆れる位に自分に意味を求めない人でね。
私なんかよりはよっぽど生きているのに、言うのさ。

私は死んでいないだけだ、とね。――――既に死んだ私に言うのさ。
私より余程生きているくせにね、既に死んでいる私に言うのさ、夢中になる物だって沢山持っている くせに、手の中に既に沢山の物を持っているくせにね、何も無いと嘆くのさ。足りないと、叫びなが ら笑うのさ。酷い、人だろう?
恨んでいるのかって?まさか。嫉妬かって言われれば、其れも違う。
私はあの人が笑ってくれるなら、それで良かった。あの人がちゃんと泣けるなら、其れで良かった。

…そこに私が居なくてもね、シスター。其れが良かったなんて、口が裂けたって言えやし無かったけ れど、それでも良かったんだ、シスター。あの人が私を忘れて、忘れ去っても。私があの人の中に既 に居ない人でも。幸せで居てくれるなら、それ以上なんて無かったよ、シスター。
―――、その幸せの一つになりたいなんて、不相応の願いを抱いてもね。其れを潰す事位、容易い事 さシスター。――――錯覚にするも幻想にするも思い込みも記憶の刷り込みも書き換えも、人間って ヤツは、案外器用でね。――、出来るもんなんだよ。
ふふ、そうだね。不器用なくせにね、器用なんだよね、厭になる位に。
…だって、既に一度死んだ私には、望むべくも無かったんだよ、シスター。最初から空っぽのこの手 に、嗚呼、違うね、何もかもを諦めて投げ出したこの空っぽの手に、当たり前のように与えられる温 もりなんて、一過性の物だって――、一度染み付いた諦め癖はやっぱり、信じやしなかったんだろう ね、シスター。
―――――、信じていたのに、信じていなかったんだろうね。何時消えても可笑しく ないって、私は――知って、いや、思っていたのさ。
だから、私は笑っていて欲しかった。泣いていて欲しかった。両手を広げて、生きていて欲しかった 。幸せ、で居て欲しかった。誰が幸せじゃないって言っても、私が幸せじゃ無いだろうって思っても 、あの人が幸せだって言うのなら、其処に居て欲しかった。
シスター、私はね、あの人に出会って、再び命を貰ったんだ。希望を貰って、祈りを持って、絶望を 知った。何も出来ない無力感と、どうしようもない寂寥感を覚えた。閉じきった私の世界を再び開け て貰ったのに、悔しいじゃないか、私は何もあの人に返せやし無いんだ。髪の毛の一本ですら、小指 の爪先ですら、あの人の為になるような事を、出来やしないんだ。
……、ただ寂しかったのさ、私は。私の全てを丸ごと捧げたって、足りない位に好きなのに、どんな 言葉だって、柳に風、ぬかに釘さ。

何処が良かったのかって?そりゃもう、全部さ。まるっと丸ごと全部好きだったのさ。自分でも呆れ る位にね。
ただ苦しかったのさ、私は。何もかも投げ出したって構わない位、それでも足りない位好きなのに、 何一つ出来ない無力な私が、苦しかったのさ。―――何もかも投げ出したって構わないと思っていた くせに、結局自分で作り上げた自分のルールを破ることも出来ない卑怯な自分が、厭で堪らなかった のさ。
其れに、ああ、問題が有ったといえば、私達は似すぎていたのさ。―――いいや、誤解だというのな ら其れは認めるね。私達は似ていた、だけど、確実に違うことも理解していたさ。
でもまぁ、私達は似ていたんだ。――確かにね。お互いに正反対でありながら同じだったのさ。何処 か、根の一部がね。
私はね、シスター。あの人のために生まれてきたと思ったよ。あの人のために、生きていたと思った よ。思うよ。だけどそうだね、私は誰かに出会うだろう。これから先、この人と出会う為に私はまた 、生き過ぎたと、思うだろうね。シスター。
酷い人だったよ、シスター。あの人はね。酷く愚かで利口で卑怯で優しくて残酷で嘘吐きで正直者で 不器用で器用で、どうしようもなかったよ。私はどれだけあの人に要らないって言われただろう。あ の人は気付いていないだろうけれど、言葉の裏を読み取って――勿論、言葉の裏があったなんて、思 ってやしないさ。ただ、癖なんだ。ネガティブな事を読み取ってしまうのはね。―――何度絶望した か。それでも、可笑しいだろうシスター。可笑しいんだ、シスター。どうしようもなく、愛しかった よ。
……刷り込みの単純な記憶の捏造の、好きだったかもしれないけれどもね、シスター、確かに私はあ の人が好きだったんだよ。どれだけだって好きだったんだ。今だって好きだよ。――――、あの人に 何一つ、届かなくてもね。届いてなんていなくてもね、シスター。
嗚呼、シスター、長々と引き止めてすまなかったね、下らない話を聞いてくれて有難う。
言わないのか、って?最初に言っただろう?言うつもりは無いんだよシスター。だけどようやく、私 も諦められるから、シスター、貴方に最期に聞いてもらったのさ。
嗚呼、やっと肩の荷が下りたよ。ふふ、それにしても少し話しすぎたかな。
何?諦めるとか言いながら嬉しそうだって?嗚呼、嬉しいんだシスター。嬉しいのさシスター。
…あの人が幸せになったんだ。あの人が幸せだって言ったんだ、シスター。――――長い、永い、永 い願いがようやく叶うよ。ようやく叶ったよ、シスター。

ねぇ、シスター。想いは難しいね。願いは届かなくて、祈りは地に落ちて、希望が絶望になって、諦 めは救いにもなり―同じ想いに辿り着ければ良いのに、堂々巡りのように廻るだけだ。
いつか、いつかいつかきっと、同じ想いに辿り着くのかな、辿り着けば良いな。
嗚呼、全てが単純で、単純でなくても、鏡のように続くものなら良いのにね。糸のように紡げるもの なら良いのにね。水のように辿り着くものなら良いのにね。
…好きだって言ってもらえるなら、嘘でも良いと、もう言わないよ。錯覚で良いと、もう言えないよ 。誰でも良いなんて思えないよ。私は欲張りだから。呆れるだろう?笑って良いんだ、シスター。笑 おうが嘆こうが泣こうが怒ろうが―――、其れは私の思いを何ら傷つける物じゃない。
ふふ、シスター。私はようやく岩じゃなく、柳になれたと思わないかい?錯覚だって、おや、それは 残念。
嗚呼、それにしても、本当に有難う、シスター。長々と話を聞いてくれて。下らない話さ。誰にも知 られずに朽ちていくだけの何処にでもある、つまらない話さ。だけど、有難う、ずっと待ってくれて 、聞いてくれて有難う。
ようやく、私の仕事が終わったと思わないかい?シスター。
最期に会えたのが貴方で良かったよ。―――――――、嗚呼、やっと私も眠れる。
嗚呼、と、忘れるところだった。コーヒーは戸棚に入っているから、好きな物を持っていってくれて 良いよ。どうせもう私は飲みはしないんだから。









本当に本当に、本当に、下らない嘘みたいに、陳腐でチープな嘘みたいに、好きだったんだ。
それじゃあね、長々と、下らない話に付き合ってくれてありがとう、死神(シスター)。


長い長いお話を興味深そうに聞いていた少女は一つ頷き、マスターだったモノ、の、未だ人の形を取り続けている魂に、氷のように冷たい吐息を吹きかけた。ゆらり、丸いものに形を変えた、其れは、次の瞬間には、音を立てて、少女の軽く開いた赤い唇の中へ飛び入るように吸い込まれて、消えた。
彼女の紅い瞳が、瞼の裏に隠れる頃、音も立てずに少女の身体は霧散し―戸棚の珈琲の幾種かが其れと同時に消失した。


瞼を閉じる瞬間、少女以外誰も居ない静まり返った部屋の中で、少女は確かに身を引き裂かれるような、悲痛な泣き声を聞いた。
哀れで哀れで憐れな、憐れで僅かに救いとなるような、氷柱のように痛い泣き声だった。



2007.09.09

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