ラプンツェル


認めない。


少女は諦めたように微笑った。
「認めない。認めないぞ、俺は。」
子供は少女を睨みつけて、唯、繰り返した。闇と光の混じる頃、夜が朝に引き裂かれるその時刻に未だ薄暗い部屋の中で、少女は褥の上に座り込み、困惑したような、何処までも哀しそうな透明な笑みを浮かべて首を横へと二度、三度振った。

「赦さない。そんな事、したら、絶対に。赦したりなんかしないからな。」
子供は瞳に烈火の如き怒りを乗せて睨むだけで人を殺せるのではないかと思えるような視線を少女に向けた。
真っ直ぐな視線が絡み合い、そして先にその視線を逸らしたのは少女の方だった。
「でも、だけど、です〜…。そう、しましたらば、もう縛られる事は、無いのです、よ〜?縛られるのは…、お嫌いでしょう?」
ぐ、と途中詰まった声はそれでも最後までその台詞を吐き出し、だから、と続いた言葉はその先を失った。
震える手を、握り締める。俯いて伏せられた長い銀糸の睫がふるふると軽く震えた。

子供は知っている。
本当は知っている。
その瞳の奥は、哀しみに揺らめいてそれでも。優しさに見せかけて、それでも。何もかもを受け入れているように見せかけて、それでも。
……恐れているのだ。だから、全てを享受して拒絶する。残酷なまでの、優しさで。

「それは、お前だろう。」
ぎ、と睨みつける強さを変えぬまま冷たい声音で子供は搾り出すように吐き捨てた。
きょとりと、瞳を見開いて少女が子供を見つめた。
「失くす事は怖いか。何も持たぬ事は楽か。何時でも何処にでも、行けると本気で信じてるのか。今更、お前は何を恐れるんだ。」
そう、今更、だ。今更過ぎて、けれど其れでも未だ、まだきっと、きっと間に合う。
少女は、眉尻を下げ僅かに口を開き、そして閉じた。唯真っ直ぐに知己の色を瞳に宿す子供を見つめる。
「欲する事は罪か。失くす事が罰か。それなら、自業自得だと諦められるのか。今ならまだ、痛みが少ないと信じているのか。」
少女は子供を見つめる。子供は視線を外さない。烈火の如く怒りを秘めている子供の、僅かに上ずった声はそれでも、冷静だ。
子供は一つ、瞬く。細い瞳孔が更に細く、細くなる。少女は、小さく息を呑んだ。子供の瞳が辛そうに細められた。握り締める子供の手は酷く白く、痛いだろうと、現実逃避のように少女は思う。

「其れは、お前の都合だろう。」

大きくも、小さくも無い、静かな声が少女を襲った。
「………あ、う、ぁ。でもっ、でも、だけど、です〜。」
僅かに洩れた小さな声は、けれどもそれ以上先を紡げず、ぐ、と奥歯を噛み締めて、少女は視線を落とした。
暗い部屋は静かに光の中へと入り込もうとしている頃で、そろそろ朝が来るのだと頭のどこかで誰かが囁いた。
「俺が此処に居るのは、俺の都合だ。お前がどう思おうが、嫌がろうが、泣こうが喚こうが、認めないのも、赦さないのも、俺の都合だ。何か文句あるか。」
子供はどきっぱりと、一種理不尽な台詞を言い切り、ふん、と鼻を鳴らして瞳を柔く細めた。
少女は眉尻を下げ、眉間に皺を寄せ、今にも泣きそうに顔を歪めた。瞬いたが最後、涙が零れ落ちそうだと、薄らと開いた瞳で白いシーツを見つめて胸中で少女は呟いた。

嘘吐き。

…だけど、其れは、誰?

少女は知っていた。子供も、少女も本当は知っているのだ。
少女が心底嫌がり、泣き喚いたとしたら、子供はあっさりと自分の都合を曲げるだろう。信念も、思いも祈りも、捻じ曲げて、プライドも感情だって捻じ伏せ、無かったことにするだろう。自惚れでも何でもなく、絶対的な事実として子供はそうするだろう。疑いようの無い、絶対的な強さで、彼はそうするだろう。
他の誰でもない、少女の為だけに。
…………、だからきっと。だからきっと、だけどきっと。

それでも少女は自分達は同等であるのだと信じたかった。――――何処までも卑怯に。
だからこそ、少女は自分が知っている事を全て締め出した。――自分達が同等であるが為に。
だから子供は、少女が知ることも自分がある意義も、全て締め出した。――――少女が望むが故に。

心理的な時間として長い――時間にして其れは短かったかもしれない―沈黙が落ち、不意に少女は肩を落として観念したような吐息のような声を発した。
「……………無い、です〜………。」
くしゃりと前髪を掻き揚げて子供は歯を見せて笑った。楽しそうに立てられた笑い声に、へにゃりと泣き笑いの表情を浮かべて、少女は子供を見やり、その笑みを凍らせた。
「さァて。で、何だって行き成りンな事言い出したのか理由を聞こうか。」
朗らかに貼り付けたとでも言うべきか、絶対零度に凍りついた笑みを浮かべる、子供の目は明らかに怒っている。見なければ良かった、と後悔しながら、どうしてこうも笑いながら怒る人が周囲には多いのだろうと、ふ、と少女は思って。
それから納得した。
同属嫌悪なのだ。きっと、此処には居ないあの人と、この、子供が喧嘩をするのは。
「…、ずっと、思っていたのです、よ〜……、如何して、一緒に…居てくださるのだろう、と。」
しゅん、と頭を垂れてぽつ、ぽつと零す少女の言葉に子供は深い深い溜息を零した。
「……で、この結論に辿り着いた、と?」
こくり、と少女は一つ頷いた。
「……だって、縛られるのはお嫌いだと……お聞き、しましたので〜。」
「そうだな。縛られるのは嫌いだな。元々猫は自由を好むし自分に正直で気まぐれだ。―…だが、其れだって秩序がないわけじゃァ無い。それに。」
ぐい、と子供は少女の長い銀糸を引っ張る。
少女は困惑した表情で子供を見上げた。
「お前になら縛られてやっても良い。何なら首輪でも買ってみるかい?」
ぱちぱちと少女は何度も瞬いた。子供は悪戯っ子の笑みで鋭い犬歯を見せて笑い少女の首を―…首の中心、黒い忌まわしき痣を人差し指の腹でトン、と叩いた。
「……、それなら、まるでまるっきり、ペットのようです、よ〜?」
少女は眉尻を下げ、情けない笑みを零した。
「俺を何時まで野良にさせておくつもりなんだい?御主人様?」
道化師のような仕草で子供は首を傾けて、不意に真剣な表情を浮かべた。
「望んだのはお前だけじゃない。望んだのは俺だって、一緒だ。お前はもう、覚えてなんざ居ないンだろうけど。重いか、其れは。」
「……、大丈夫、です〜…。」
「嘘付け。」
ふるり、と少女は一つ首を横へと振った。
「お前が嫌だって言っても、俺は此処に居る。其れは俺の望みだから。―血に、染み付く願いだから。首輪なんざ、無くても。言葉なんて、無くても。契約さえ、消えたとしても、だ。」
「………、それでも、それでも、きっと今よりは、今よりはずっとずっと、安全に…っ」
「なると、本気で信じてるのか?」
少女は押し黙った。子供は呆れたように溜息を零して其れから未だ暗い天井を見上げた。はらはらと手から銀糸が零れ落ちる。
「―俺の幸せは、俺が決める。……お前の幸せを、…………お前が、決めるように。」
吐き出された、小さく、冷静でそして冷酷な言葉に少女は唇を噛み締め、逆に瞳を褥の上へと落とした。
「……幸せなんて、これ以上、何処にも、ないのです、よ〜。…これ以上なんて、如何して、願えます?……如何して、望めます?私は今、幸福で、これ以上なんて、何処にも無くて。……、白夜ちゃんがもっと、もっと幸せになってくれたらそれだけで、十分で。」
「だったらもう、俺を困らせないでくれ。御主人様。俺の願いは此処にある。―俺の幸せはお前が幸せで居る事だ。」
まるで、縋るような声が思いも寄らず子供から聞こえて、少女はそれ以上何も言えずに子供を見つめた。
「望む事は罪か。欲する事が罪か。失くす事が罰か。壊される事が罰か。……如何して其れが悪い?其れでも俺が選んだ事だ。全部背負うさ。お前だけが全てを背負う必要なんて無い。」
子供は真剣な瞳を少女へと移す。細い瞳孔が更に細くなる。
「………、強情、なのです〜。」
はら、はらと零れ落ちた銀糸を見送って、子供は手を酷く道化じみた仕草で胸へと押し当て片膝を折った。
「本当に嫌なら、命令すれば良い。御主人様。貴方が仰る事ならば、例え其れがどれ程理不尽であろうとも私は喜んで享受しましょう?さァ、御主人様ご命令を。」
「……っっ。白夜ちゃんは、ずるいのです〜!!そんなの言える筈、無いじゃないですか〜っ!!白夜ちゃんの卑怯者ーーっ!!!」
半泣きになりながら、叫んだ少女に、にぃ、と口角を吊り上げて子供は笑う。
返答はなく、ぜいはぁ、と叫んだ少女は頭を下げたままの子供を見つめて悔しそうに唸り声を上げた。
部屋の中はますます明るさが増していく。子供は不意に顔を挙げ、妙に綺麗な笑みを顔中に貼り付けた。
「御主人様、夜ももう終わり。お話も、御仕舞です。さァ、早くお眠りになりませんと、今日は徹夜になってしまわれますよ。」
ぷく、と頬を膨らませた少女はむぅ、と子供を睨みつけ、ぷぃ、と顔を背けた。
「御主人様って言うのは止めてください、です〜。……。」
ぱちくり、と子供は瞳を瞬かせた。もぞもぞと少女は布団に潜り込み、子供に背中を向けて瞳を伏せた。
遠くから聞こえる鳥の鳴き声に紛れそうなほど小さな、ぽつり、と呟く少女の言葉が聞こえた。
「………命令、です〜。」
くつり、子供は喉を鳴らした。
「御意。」
不機嫌そうな面で言われたのだろうとなんとなく思って確かめたい衝動に駆られて、少女の顔を覗き込む。
気配は察知しているはずなのに硬く硬く目を伏せた妙に人形めいた―作り物めいた少女に、子供は呆れたような表情を乗せて、不意に真顔になった。
「………………時なんざ、満ちなくて良い。」
ぽつり、寝入った様子の少女の寝息を聞きながら子供は呟いた。するり、朝が訪れた窓の外へと視線を向けて自嘲するように笑んだ。
「このまま、世界が終わってくれれば、なんていうのは、唯の傲慢か。」
声は光の中へと吸い込まれて、紛れて、消えた。
「嗚呼、ヤダヤダ。明日の事なんざ、考えたくも無いね。気まぐれで暢気な、猫としては。」
妙に明るい楽しそうな声を発して、子供は瞳を伏せる。
次に瞬くように瞳を開いた瞬間子供の姿は既に、一匹の白い子猫の姿になっていた。
小さな泣き声を一つ落として子猫は布団の中へと潜り込み、丸まって瞳を伏せる。

終わりの無い、始まりなど、何処にも無い。
そしてまた、始まりの無い、終わりなど、何処にもないのだ。


ラプンツェル。

ラプンツェル、その長い髪を垂らしておくれ。
お前を自由にしてあげるよ。


響き渡るのは王子様の声でも何でもなく、無力な子供の叫びと、傲慢な少しばかり力を持った大人の祈りと、甘美な魔女の声――。


そして後日赤いリボンの鈴付き首輪を巡り数えるのも飽きる程の、下らない口論と言う名の戦争が勃発する。
「じゃ、じゃーん。どうしたのです?白夜ちゃん?」
「リボンっ、や、百歩譲ってリボンは良しとしよう。…でもな、猫に鈴なんて付けんじゃねぇッ!!」
「どうしてです〜?可愛いじゃないですか〜?」
ちりんちりんちり…
「んじゃ、お前がつけろッ!!」
「んん、つけてみました、けれど〜。むぅ、どうして白夜ちゃんはお厭なの……ああっ、なるほどです。そうですね、男の子ですし、蒼いリボンの方が良かったですよね〜。」
ぐ、と拳を握り締め、今度は蒼いリボンを買ってまいりますね、などとゆらゆらとリボンを揺らしながら楽しそうに肩を揺すって少女は笑った。

ちりちりちりちりちりちりちりちりち…
鈴の音がエンドレスに鳴り響く。
「煩ェ!!付けるなーーー!!!付けるなら動くなーーーッッ!!」
ぴたり、動きを止めて少女は唇を尖らせた後、途方にくれたように子猫を見つめた。
「…むぅ、白夜ちゃんがつけろ、と申しましたのに〜……。」


勿論、勝者は何時だって白夜だけれど。




心底願った、有り触れる、日常。

2007.05.13

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